最後の配達を終えたのは、
午前3時を少し過ぎた頃だった。
アプリをオフラインにする。
今日の売上が表示される。
工場を出た後に走った数時間分。
大きな金額ではない。
それでも、
何もしなかった日よりは増えている。
スマホをポケットに入れ、
寮へ向かった。
道路にはほとんど車がいなかった。
信号だけが、
誰もいない交差点で赤と青を繰り返していた。
この時間の街は静かだ。
店も閉まっている。
人も歩いていない。
昼間は混んでいる道を、
一人で走る。
嫌いではなかった。
むしろ、
少し落ち着いた。
工場にもいない。
配達中でもない。
寮にもまだ帰っていない。
誰からも何も求められない、
短い時間だった。
でも、その夜はなぜか、
同じ言葉が頭から離れなかった。
このままで終わりたくない。
金は少しずつ増えていた
期間工になって、
生活は安定した。
毎月給料が入る。
寮がある。
家賃も抑えられる。
給料日前に残高3,842円を見ていた頃より、
確実に状況は良くなっていた。
先取りで貯金を始めた。
無駄な支出も少し減らした。
残高は10万円を超え、
50万円を超え、
やがて100万円を超えた。
その後、
フードデリバリーも始めた。
休日だけ。
仕事が早く終わった日だけ。
夜勤明けに一件だけ。
給料以外からも、
少しずつ金が入るようになった。
以前の自分が見れば、
十分うまくいっているように見えたと思う。
借金は減っている。
貯金は増えている。
仕事もある。
それなのに、
満足はしていなかった。
明日も同じ一日
寮へ戻る。
配達バッグを床に置く。
作業着を脱ぐ。
シャワーを浴びる。
コンビニで買った食事を温める。
テレビはつけなかった。
部屋には、
電子レンジの音だけが響いていた。
明日も工場へ行く。
目覚ましで起きる。
送迎バスに乗る。
作業着に着替える。
ラインに立つ。
仕事が終われば、
体力が残っていたら配達する。
帰って眠る。
そして、
また同じ一日が始まる。
この生活を一か月続ければ、
金は増える。
一年続ければ、
もっと増えるかもしれない。
でも、
それだけだった。
時間と体力を使った分だけ、
残高が増える。
働くのを止めれば、
収入も止まる。
自分が休んでいる間にも入ってくる金はない。
工場を辞めれば、
毎月の給料はなくなる。
配達を休めば、
その日の売上はゼロになる。
収入源は二つになった。
でも、
どちらも自分の体を動かさなければ一円にもならなかった。
以前と何が変わったのか
口座残高は変わった。
住む場所も変わった。
仕事も変わった。
でも、
自分の生き方はあまり変わっていなかった。
金が足りない。
だから働く。
疲れる。
休む。
また金が必要になる。
だから、また働く。
以前より収入は増えた。
ただ、
回っている場所が少し大きくなっただけのようにも思えた。
期間工を辞める。
金が減る。
不安になる。
また期間工へ戻る。
その繰り返し。
自分の中で、
それを期間工ループと呼んでいた。
今回も、
同じ終わり方になるかもしれない。
満了金を受け取る。
少し休む。
金を使う。
次の仕事が決まらない。
そして、
また求人サイトを開く。
そう考えると、
急に怖くなった。
何も積み上がっていない気がした
工場では、
毎日多くの製品を作った。
何台流したのか分からないほど、
同じ作業を繰り返した。
配達でも、
多くの商品を届けた。
店へ行く。
商品を受け取る。
届ける。
一件終われば、
また次の一件。
仕事は終わっている。
でも、
自分の中に何が残ったのかは分からなかった。
経験は残っている。
体力も少しついた。
道にも詳しくなった。
それでも、
数年後につながる何かを作れている感覚はなかった。
工場で働いた時間は給料になる。
配達した時間も報酬になる。
でも、
支払われた時点で終わる。
翌月も同じ収入を得るためには、
また同じだけ働かなければならない。
自分が働いた時間が、
未来にも残るものを作りたかった。
パソコンを開いた
食事を終えた。
時刻は午前4時を過ぎていた。
眠らなければいけない。
でも、
すぐにベッドへ入る気にはなれなかった。
机の上に置いていたパソコンを開いた。
高性能なものではない。
動作も少し遅い。
ファンの音もする。
検索画面を開いた。
「期間工 ブログ」
入力した。
多くのサイトが出てきた。
給料。
寮。
面接。
満了金。
おすすめメーカー。
自分が期間工へ応募する前に、
何度も読んだような記事だった。
役に立つ。
でも、
どこか遠く感じた。
知りたかったのは、
給料の金額だけではなかった。
夜勤明けの朝が、
どれくらいまぶしいのか。
初めて寮のドアを開けた時、
どんな気持ちになるのか。
隣のロッカーが空になった朝、
何を考えるのか。
給料日前に残高を見る怖さ。
工場を出た後に、
配達バッグを背負う理由。
そういうことを書いているブログは、
あまり見つからなかった。
自分なら書けるかもしれない
文章を書いた経験は、
ほとんどなかった。
学校の作文も苦手だった。
正しい日本語も分からない。
人に読ませられる文章なんて、
書けないと思っていた。
それでも、
自分にしか書けないことはある気がした。
工場の門を出た時の空気。
夜勤明けのコンビニ。
寮の廊下に響く足音。
配達先が見つからず、
同じ道を何度も走った夜。
華やかな経験ではない。
成功した話でもない。
でも、
同じような場所にいる人はいる。
給料日を待っている人。
今の仕事を辞めたい人。
何か始めたいけれど、
何をすればいいか分からない人。
そんな人が読んだ時に、
自分だけではないと思える文章なら、
書けるかもしれない。
ブログ名を考えた
新しい画面を開く。
ブログ名を考えた。
期間工という言葉を入れるか。
副業を入れるか。
人生再生。
借金返済。
30代からのやり直し。
いくつか入力してみた。
どれも説明としては分かりやすい。
でも、
自分の生活とは少し違う気がした。
画面から目を離す。
窓の外を見る。
カーテンの隙間から、
夜が少しずつ薄くなっていた。
工場を出る。
配達する。
そして、
深夜の道を寮へ帰る。
その時間に、
一番いろいろなことを考えていた。
金のこと。
仕事のこと。
満了後のこと。
このままでいいのか。
次は何をするのか。
誰にも話さないことを、
一人で考えていた。
深夜2時の帰り道。
画面に入力した。
最初の記事
記事を書く画面を開いた。
白いページに、
カーソルだけが点滅している。
何を書けばいいのか分からない。
自己紹介を書くか。
期間工の給料を書くか。
借金の話を書くか。
しばらく何も入力できなかった。
期間工の応募ボタンを押す時も、
同じだった。
やることは簡単なのに、
指が動かない。
書いたところで、
誰も読まないかもしれない。
途中で飽きるかもしれない。
一円にもならないかもしれない。
それでも、
何も始めなければ、
一年後も同じことを考えている。
そう思った。
タイトル欄に文字を入れた。
「応募ボタンを押すまで30分かかった」
最初の一文を書く。
スマホの画面には、
「応募する」と書かれた赤いボタンがあった。
一行書く。
また一行書く。
正しい文章かどうかは分からなかった。
ただ、
あの日に考えていたことを、
思い出しながら書いた。
すぐには何も変わらなかった
記事を公開した。
アクセスを見る。
誰も読んでいなかった。
しばらくして、
自分のアクセスが一件表示された。
それだけだった。
当然だと思う。
始めたばかりの、
名前も知られていないブログ。
誰かが偶然見つける方が難しい。
収益もゼロ。
ブログを始めたからといって、
翌日から工場へ行かなくてよくなるわけではない。
目覚ましは鳴る。
送迎バスに乗る。
ラインに立つ。
仕事が終われば、
配達へ行く日もある。
生活は何も変わらなかった。
でも、
一つだけ変わった。
工場で感じたことが、
ただ消えていくだけではなくなった。
寮で考えたこと。
配達中に見た景色。
給料日前の不安。
全部、
記事にできると思うようになった。
昨日まで消費していた時間が、
少しずつ言葉として残るようになった。
稼げるかは分からなかった
ブログで収入を得られる人がいる。
広告。
アフィリエイト。
商品紹介。
調べれば、
いろいろな方法が出てくる。
月に数万円。
数十万円。
中には、
会社員以上に稼ぐ人もいるらしい。
自分にもできるかは分からなかった。
正直、
今でも分からない。
工場で一時間残業すれば、
いくら増えるかは計算できる。
配達を一件すれば、
報酬が表示される。
ブログは違う。
何時間書いても、
ゼロかもしれない。
何か月続けても、
誰にも読まれないかもしれない。
効率だけで考えれば、
配達へ行った方が早い。
それでも、
続けてみようと思った。
工場と配達は、
今日の金を作る仕事だった。
ブログは、
未来に残るものになるかもしれない。
初めて、
今月の収入ではなく、
数年後を考えて始めたことだった。
このままで終わりたくなかった
期間工が嫌いなわけではない。
助けられたと思っている。
仕事がなかった時に、
働く場所をくれた。
寮があった。
給料が入った。
借金を返せた。
貯金もできた。
フードデリバリーも同じだ。
すぐに始められた。
働いた分だけ報酬になった。
どちらも、
今の自分に必要な仕事だった。
でも、
必要だったことと、
ずっと続けたいことは違う。
このまま工場へ行き、
仕事が終われば配達する。
体力がなくなるまで働き、
眠って、
また働く。
それだけで人生を終えたくなかった。
何者かになりたいわけではない。
有名になりたいわけでもない。
ただ、
数年後の自分に、
今とは違う選択肢を残したかった。
工場以外でも働ける。
配達へ行かない日にも、
収入が入る可能性がある。
自分の経験が、
誰かの役に立つ。
そんな未来を、
少しだけ作ってみたかった。
深夜2時の帰り道。
ブログを始めても、
すぐに何かが変わったわけではない。
今も工場へ行く。
今も配達バッグを背負う。
給料日も待つ。
将来への不安も消えていない。
でも、
深夜2時の帰り道に考えていたことを、
言葉にする場所ができた。
今日も疲れた。
明日も仕事だ。
それでも、
帰ったら一行だけ書こうと思えるようになった。
一行では、
人生は変わらない。
一記事でも変わらない。
でも、
何も書かなかった一年と、
少しずつ書き続けた一年は、
きっと違う。
そう信じることにした。
期間工に応募した日。
寮のドアを開けた日。
初めて夜勤を終えた朝。
同期が辞めた日。
残高が3,842円だった夜。
100万円を超えた日。
初めて配達した日。
全部が、
このブログにつながっていた。
これは、
成功した人間の話ではない。
まだ途中にいる人間の記録だ。
期間工と配達を続けながら、
人生を少しずつ立て直していく。
その続きを、
ここに残していこうと思う。
このままで終わりたくなかった。
だから、
ブログを始めた。