「次はどうするの?」
作業が終わった後、
班長にそう聞かれた。
世間話のような軽い言い方だった。
でも俺は、
すぐに答えられなかった。
「まだ、はっきり決めてないです」
結局、それだけ返した。
期間工を満了した後に何をするのか。
契約更新をするのか。
別の工場へ行くのか。
正社員を目指すのか。
地元へ戻るのか。
自分ではずっと考えているつもりだった。
けれど、言葉にしようとすると、
何一つ決まっていなかった。
班長は深い意味で聞いたわけではなかった
その日は残業がなかった。
片づけを終え、
作業場から出ようとしていた時だった。
班長が近くに来て、
「もうすぐ満了だよな」
と言った。
俺が「そうですね」と答えると、
続けて聞かれた。
「次はどうするの?」
責められたわけではない。
何かを勧められたわけでもない。
班長にとっては、
これまで何人もの期間工に聞いてきた質問だったのだと思う。
更新する人。
地元へ帰る人。
正社員登用を受ける人。
別の工場へ行く人。
期間工には、それぞれ終わりがある。
その後を確認しただけだった。
それなのに、
その一言が妙に残った。
「分かりません」とは言えなかった
本当は、
分かりませんと答えるのが一番正しかった。
でも、
その言葉は言えなかった。
もう30代だった。
若いからこれから考えます、
とは言いにくい年齢になっていた。
正社員経験もない。
特別な資格もない。
工場以外の仕事に自信もない。
そんな状態で、
「何も決めていません」
とは言いたくなかった。
だから、
「まだ、はっきり決めてないです」
と少しだけ言い換えた。
考えている途中です。
選択肢はいくつかあります。
そんな意味を含ませたつもりだった。
でも実際は、
答えを先延ばしにしていただけだった。
正社員登用は受けなかった
少し前、
休憩室の掲示板に貼られた
正社員登用試験の案内を見た。
応募はしなかった。
正社員が嫌だったわけではない。
安定した収入。
賞与。
昇給。
契約満了を気にしなくていい生活。
魅力はあった。
それでも、
この工場で何年も働く自分を想像できなかった。
期間工だから、
満了日まで頑張れた部分もあった。
終わりがあるから、
夜勤にもライン作業にも耐えられた。
正社員になれば、
自分で辞めると決めるまで終わらない。
その重さを背負う覚悟がなかった。
工場の外に、
別の選択肢を作りたい気持ちもあった。
そして正直に言えば、
登用試験に落ちるのも怖かった。
だから受けなかった。
ただ、受けないと決めただけで、
別の道ができたわけではなかった。
班長の質問で、
その現実を突きつけられた。
別の期間工へ行くのが一番簡単だった
自分にできることを考えると、
一番現実的なのは別の期間工へ行くことだった。
期間工の経験はある。
夜勤もできる。
寮生活にも慣れている。
ライン作業のきつさも知っている。
求人を探せば、
給料の高い会社も見つかる。
入社祝い金。
満了金。
寮費無料。
数字を見ると、
また行ってもいい気がしてくる。
新しい仕事を一から探すより、
期間工へ応募する方が分かりやすい。
面接で聞かれることも、
だいたい想像できる。
自分でも採用される可能性がある。
だからこそ、
怖かった。
困ったら期間工へ戻る。
金を貯める。
辞める。
貯金が減る。
また戻る。
何度も繰り返してきた道だった。
「次はどうする」
と聞かれた時、
最初に浮かんだ答えが
「別の期間工」だったことが、
一番苦しかった。
配達で生活する自信はなかった
フードデリバリーも始めていた。
工場の給料以外から、
自分で収入を作れた。
注文を受ける。
商品を受け取る。
届ける。
一件終われば、
報酬が表示される。
仕組みは分かりやすかった。
満了後は、
しばらく配達をすればいい。
そう考えたこともある。
朝から夜まで走れば、
ある程度の金額になるかもしれない。
でも、
安定して生活できる自信はなかった。
注文が少ない日もある。
天気が悪い日もある。
体調を崩す日もある。
何より、
配達は休めば収入が止まる。
期間工より自由に見えても、
生活費を全部配達で稼ぐなら、
毎日アプリを開かなければならない。
自由に休める仕事でも、
休めない生活になるかもしれなかった。
ブログは一円しか稼いでいなかった
ブログも始めていた。
最初はアクセス0。
誰にも読まれなかった。
その後、
初めて一円が発生した。
一円でも、
自分には大きかった。
工場で働いていない時間に、
過去に書いた記事から収益が出た。
配達とは違う種類の収入だった。
でも、
まだ一円だった。
家賃も払えない。
食費にもならない。
寮を出た後の生活を、
ブログに賭けられる状態ではなかった。
「ブログをやっています」
と言ったところで、
班長からすれば趣味に近く見えるだろう。
実際、
まだ仕事と呼べるような結果はなかった。
だから、
ブログのことも言わなかった。
他人に説明できない計画だった
自分の中では、
少しずつ進んでいるつもりだった。
借金を減らす。
貯金を増やす。
配達を始める。
ブログを書く。
工場以外の収入源を作る。
一つずつ行動していた。
でも、
「次はどうする」と聞かれた時、
それらを答えとして出せなかった。
配達をしながらブログを続けます。
転職先を探します。
期間工以外の道を作ります。
そう言えればよかった。
けれど、
どれも曖昧だった。
いつまでに。
いくら稼ぐのか。
どんな仕事に移るのか。
何も決まっていない。
計画というより、
願望に近かった。
班長の答えはシンプルだった
俺が答えに詰まっていると、
班長は言った。
「まあ、早めに決めた方がいいぞ」
それだけだった。
正社員を勧めるわけでもない。
更新を迫るわけでもない。
期間工を続けろとも言わない。
現実的な言葉だった。
満了日は待ってくれない。
寮を出る日も来る。
給料が止まる日も来る。
決めないという選択をしていても、
期限が来れば何かを選ばなければならない。
「まだ決めていない」は、
ずっと使える答えではなかった。
仕事中も考えてしまった
次の日。
ラインに立ちながら、
班長の言葉を思い出していた。
次はどうする。
部品を取る。
工具を当てる。
確認する。
次へ流す。
体は作業を続けている。
でも、
頭の中では別のことを考えていた。
次の期間工へ行くか。
転職活動をするか。
配達を増やすか。
ブログを書くか。
今の契約を更新するか。
答えは出なかった。
ただ、
一つだけ分かった。
今の仕事を続けながら考えないと、
満了してから焦ることになる。
仕事が終わってから考える。
休みの日に考える。
そう言いながら、
疲れて寝てしまう日が続いていた。
時間ができたら考えるのでは遅い。
時間を作らなければいけなかった。
ノートに「次」を書いた
その夜、
寮へ戻ってノートを開いた。
上の方に、
大きく書いた。
「次はどうする」
班長に聞かれた言葉だった。
その下に、
選択肢を書いた。
契約更新。
別の期間工。
一般の転職。
配達を増やす。
ブログを続ける。
地元へ戻る。
書き出してみると、
どれか一つを選ぶ必要はないことに気づいた。
期間工を続けながら、
転職先を探してもいい。
配達で現金を作りながら、
ブログを続けてもいい。
満了後に焦らないよう、
貯金を増やしてもいい。
問題は、
最初から完璧な答えを出そうとしていたことだった。
次の仕事を一つに決めることより、
次の選択肢を複数作る。
今の自分には、
その方が現実的だった。
次の満了までにやること
俺は、
ノートに三つ書いた。
一つ目。
生活費として残す金額を決める。
満了金を含めて、
いくらあれば焦らず動けるのかを計算する。
二つ目。
期間工以外の求人を見る。
応募するかは別として、
自分が選べる仕事を知る。
三つ目。
配達とブログを続ける。
金額は小さくても、
工場以外で収入を作る経験を止めない。
簡単な内容だった。
それでも、
何も決まっていない状態よりはよかった。
次に班長から聞かれた時、
まだ決まっていません、
だけで終わらないようにしたかった。
答えは変わってもいい
その時、
初めて思った。
一度決めた答えを、
絶対に守る必要はない。
転職を目指しても、
良い仕事が見つからなければ期間工を続けてもいい。
ブログを続けても、
収益が出なければ別の副業を試してもいい。
配達がきつくなったら、
無理に続けなくてもいい。
正解を一発で選ぼうとするから、
動けなくなる。
今できる準備をして、
状況に合わせて変えればいい。
それは逃げではない。
何も考えずに流されることとは違う。
数日後、もう一度聞かれた
数日後、
また班長と話す機会があった。
「次、決まった?」
前と同じような軽い聞き方だった。
俺は答えた。
「まだ確定ではないですけど、転職先を探しながら、ブログと配達は続けようと思っています」
口に出してみると、
少し恥ずかしかった。
ブログと配達。
どちらも、
まだ大した収入にはなっていない。
それでも、
前よりは答えられた。
班長は、
「そうか。寮を出るなら早めに準備しとけよ」
と言った。
それで会話は終わった。
背中を押されたわけではない。
応援されたわけでもない。
でも、
自分の口から次のことを言えた。
それだけで、
少し前へ進んだ気がした。
深夜2時の帰り道
仕事を終え、
工場の門を出た。
班長に聞かれた言葉を、
また思い出した。
次はどうする。
まだ、
はっきりした答えはない。
期間工を続けるかもしれない。
別の仕事へ行くかもしれない。
配達を続けるかもしれない。
ブログを諦める日も来るかもしれない。
それでも、
以前とは違っていた。
何も考えずに、
次の求人へ応募するつもりはなかった。
金を残す。
選択肢を調べる。
工場以外の収入を育てる。
今できる準備をしてから、
次へ進む。
班長の一言は、
答えを教えてくれなかった。
ただ、
答えを出す期限が近づいていることを教えてくれた。
「次はどうする」
あの夜から、
その言葉は他人からの質問ではなく、
自分自身に毎日聞く言葉になった。