契約更新の書類を渡された。
休憩前だった。
薄い紙だった。
名前を書く欄。
契約期間。
更新後の勤務条件。
署名欄。
ただそれだけの紙だった。
でも、
その紙を持った瞬間、
急に重く感じた。
更新するか。
しないか。
答えを出さなければいけなかった。
迷うと思っていなかった
少し前までは、
更新するつもりだった。
給料は入る。
寮もある。
仕事も覚えた。
人間関係も、最初よりは慣れた。
夜勤もきつい。
ライン作業も楽ではない。
それでも、
最初の頃よりはずっとマシだった。
体も慣れた。
作業も覚えた。
怒られることも減った。
ここまで来たなら、
もう少し続ければいい。
そう思っていた。
でも、
いざ更新の紙を前にすると、
手が止まった。
続ける理由はたくさんあった
更新すれば、
生活は安定する。
毎月給料が入る。
寮に住み続けられる。
通勤も変わらない。
また別の仕事を探さなくていい。
面接も受けなくていい。
新しい職場で一から覚え直す必要もない。
それは大きかった。
期間工の仕事は、
最初の数週間が一番きつい。
体も慣れていない。
作業も分からない。
人間関係も分からない。
寮にも慣れていない。
そこを一度越えた後に、
また別の場所へ行くのは面倒だった。
更新すれば、
その面倒を避けられる。
楽な選択に見えた。
でも、楽な選択が怖かった
更新は現実的だった。
でも、
それが怖かった。
このまま半年。
また半年。
気づけば一年。
そして、
また同じことを考えている自分が見えた。
満了金が入る。
少し貯金が増える。
でも、
根本的には何も変わらない。
工場へ行く。
帰って寝る。
体力があれば配達する。
少しだけブログを書く。
その生活を続けること自体が悪いわけではない。
ただ、
自分が何のために続けるのか分からなくなっていた。
辞める理由もはっきりしなかった
更新しない。
そう決められるほど、
次の道が見えていたわけでもない。
転職先が決まっているわけではない。
ブログで生活できるわけでもない。
配達だけで安定するわけでもない。
資格があるわけでもない。
正社員経験があるわけでもない。
勢いで辞めたら、
また不安になるのは分かっていた。
期間工を辞める。
貯金を切り崩す。
焦って求人を見る。
そしてまた、
どこかの期間工へ応募する。
そんな未来も見えた。
それは避けたかった。
だから、
辞める勇気もなかった。
休憩室で紙を見ていた
休憩室の端の席に座った。
自販機で買った缶コーヒーは、
まだ開けていなかった。
書類を机に置く。
周りでは、
いつも通りの会話が聞こえていた。
残業の話。
休日出勤の話。
昨日の野球の話。
スマホゲームの話。
誰も、
自分の契約更新なんて気にしていない。
当たり前だ。
でも自分にとっては、
大きな分岐点みたいに感じた。
名前を書けば、
今の生活がもう少し続く。
書かなければ、
今の生活は終わりに向かう。
たった一枚の紙で、
半年先の生活が変わる。
そう思うと、
簡単には書けなかった。
更新する人、出ていく人
周りの人は、
あまり迷っていないように見えた。
更新する人は、
普通に名前を書いていた。
「もう少し貯めるわ」
「次の満了金までやる」
「他に行くのも面倒だし」
そんな感じだった。
更新しない人もいた。
「地元戻る」
「次決まってる」
「もう夜勤無理」
理由はそれぞれだった。
みんな自分の事情で決めている。
正解はない。
そのことは分かっていた。
それでも、
自分だけが答えを出せずにいる気がした。
金の計算をした
寮へ戻ってから、
ノートを開いた。
給料日前夜に使ったノートだった。
更新した場合。
更新しない場合。
それぞれを書き出した。
更新すれば、
毎月の給料が続く。
寮も使える。
満了金もまた見込める。
貯金は増やせる。
借金も減らせる。
ブログも続けられる。
更新しなければ、
時間はできる。
転職活動もできる。
ブログにもっと時間を使える。
でも、
収入は不安定になる。
寮も出る必要があるかもしれない。
生活費もかかる。
書けば書くほど、
更新した方が安全に見えた。
でも、
安全だから正しいとは限らない。
そこが難しかった。
何のために期間工に戻ったのか
最初に応募した日のことを思い出した。
応募ボタンを押すまで、
30分かかった。
あの時、
ただ戻るだけならまた同じだと思った。
借金を返す。
生活防衛資金を作る。
副業を続ける。
ブログを育てる。
期間工をゴールにしない。
次へ進むために使う。
そう決めた。
それなのに、
目の前の安定に安心して、
いつの間にか目的がぼやけていた。
更新するかどうかより、
問題はそこだった。
次へ進むために更新するのか。
ただ不安を先延ばしにするために更新するのか。
同じ更新でも、
意味は全く違う。
もう少しだけ続けるという選択
結局その夜、
すぐには署名しなかった。
紙を机の上に置いたまま、
何度も見た。
更新するか。
しないか。
どちらを選んでも不安は残る。
それなら、
不安が少ない方ではなく、
次につながる方を選びたいと思った。
もし更新するなら、
条件をつける。
ただ続けない。
次の満了までに、
貯金額を決める。
借金をここまで減らす。
ブログの記事数を増やす。
配達収入を記録する。
何も決めずに更新したら、
また同じ半年になる。
目的を決めて更新するなら、
まだ意味がある。
そう思った。
逃げではなく準備にする
更新は逃げかもしれない。
そう思っていた。
でも、
必ずしもそうではない。
準備のために残るなら、
それは逃げではない。
金を貯めるため。
生活を安定させながら、
ブログを育てるため。
次の仕事を探す時間を作るため。
満了後に焦って動かないため。
そういう目的があるなら、
もう少し期間工を続けることにも意味はある。
大事なのは、
更新するかどうかではなかった。
更新した後に、
何を積み上げるかだった。
署名した夜
翌日。
仕事が終わった後、
部屋で書類をもう一度見た。
ペンを持つ。
名前を書く。
思ったよりあっさり終わった。
あれだけ迷っていたのに、
署名は数秒だった。
紙の上に自分の名前がある。
これで、
もう少し今の生活が続く。
安心した。
でも、
同時に少し怖かった。
また同じ毎日が始まる。
だから、
ノートに一つ書いた。
次の満了までに、
同じ場所で同じ不安を抱えないこと。
具体的ではない。
でも、
その一文が必要だった。
更新後の初日
更新の書類を提出しても、
何かが変わるわけではなかった。
翌日も工場へ行く。
朝礼。
ラジオ体操。
ライン作業。
休憩。
残業。
いつもと同じだった。
誰かが拍手してくれるわけでもない。
新しい人生が始まるわけでもない。
ただ、
同じ生活の期限が少し延びただけだった。
でも、
自分の中では違っていた。
この期間を、
ただ消費してはいけない。
そう思うようになった。
深夜2時の帰り道
その日の仕事終わり。
工場の門を出た。
空気は冷たかった。
配達アプリを開こうとして、
少し迷った。
走れば金になる。
でも今日は、
帰ってブログを書こうと思った。
契約更新の紙を前に迷った夜のことを、
忘れないうちに残しておきたかった。
寮へ向かう道で、
考えていた。
更新したからといって、
安心したわけではない。
辞めなかったからといって、
正解だったとも思わない。
ただ、
今の自分には準備する時間がもう少し必要だった。
だから残る。
でも、
同じ場所に留まるためではない。
次に出るために、
もう少しだけ残る。
そう決めた夜だった。
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